金・プラチナ > 金・プラチナ取引とは(金・プラチナの特徴) > 金・プラチナについてもっと知ろう!「金・プラチナの豆知識」 > コラム「豊臣秀吉と『金の茶室』」
コラム「豊臣秀吉と『金の茶室』」
提供:SBIゴールド
今回は歴史から金をめぐる価値観の変化について考えてみたいと思います。題材の中心は、豊臣秀吉の「金の茶室」です。
秀吉が「金の茶室」をつくらせたことは有名な話で、秀吉の茶の湯への傾倒、金への思いをよく示すこととして取り上げられてきました。そして、その価値観が、「わび茶」を探求している千利休の価値観と衝突したであろうこともよく語られる話です。
秀吉の主君にあたる織田信長も茶の湯に傾倒し、安土城の天守閣を金箔で輝かせたことを見ても、「金」への思い入れは相当なものがあったと思われます。
信長は、宗教権威への挑戦として、比叡山延暦寺を焼き討ちしました。その信長は、安土城を金で飾り付けることで権力を示したと言われています。信長の時代以降は、次の社会への過渡期としての性格を持ち始めました。
権力者による金独占、そのひとまずの区切り
秀吉は、中世から近世への過渡期に生き、持ち得た実権のなかで「金の茶室」を作りました。その意識が茶の湯の究極としてのものであったのか、また権力の誇示だけが目的だったのか、今となっては推測するしかありません。信長以降、新しい戦国武将の権力による国家統一に向かうなかで、この「金の茶室」がつくられたことは、権力者が金を独占するひとまずの区切り、ピークであったと感じます。
その「金の茶室」の存在意義に対して問題を提起したのが、千利休のわび茶でした。茶の湯は、身分などに関係なくコミュニケーションをとるものであり、くすんだ色の茶器を使い、無駄を極限まで省いたスタイルは、ゴージャスな金を使って贅を尽くした秀吉の茶室とは完全に対立するものだったと思われます。さらに、千利休が商人であったことも江戸時代における商品経済を予感させていると解釈することもできます。
商品経済の発展
さて、上記の流れから考えますと、「権力者の金」を否定する価値観が現れることで中世的世界はフェードアウトし、江戸時代と商品経済の発展に特徴づけられる近世に向けて舵が切られたのではないかと思います。江戸幕府は、国内の金山を幕府直轄の天領に指定し貨幣の鋳造を独占することで、商品経済の発展の素地を作りました。江戸時代は、日本における豊富な金産出を背景に金座と、それを取り仕切る商人が活躍します。
ただ、庶民が金貨を使うのはしばらくあとであり、もう少し時代が流れるのを待たなければならなかったようです。
金・プラチナについてもっと知ろう!
当コラムに関してご留意頂きたい事項
- 当コラムは投資判断の参考となる情報提供を目的としたもので、投資勧誘を目的としたものではありません。投資の最終決定はお客さまご自身の判断でなさるようお願いいたします。
- 当資料に示す意見等は、特に断りのない限り当資料作成日現在のSBIゴールド(株)の見解です。当資料に示されたコメント等は、当資料作成日現在の見解であり、事前の連絡なしに変更されることがあります。
- 本資料は当社が信頼できると判断したデータにより作成しましたが、その正確性、完全性等について保証・約束するものではありません。
ご注意事項
- 本取引は金・プラチナの価格変動により、投資元本を割り込むことがあります。
- 本取引は、政治・経済情勢の変化および各国政府の貴金属地金取引への規制等による影響を受けるリスクがあります。
また、かかるリスクが顕在化した場合、当社の提供するサービスの全部、または一部が変更、停止されるリスクがあります。 - 本取引は為替相場の変動により損失を被ることがあります。
- 本取引は、システム機器、通信機器等の故障等、不測の事態による取引の制限が生じるリスクがあります。
- 本取引は売値(Bid:お客様が売ることの出来る値段)と買値(Ask:お客様の買うことのできる値段)の差(スプレッド)があります。
- スプレッドは固定されるものではなく、需給バランスや、政治・経済情勢の変化にともない、当社の任意で変更いたします。